補欠の人や、上手くなれなくて悩んでいる人は読んでみてください。
私は小・中・高・大で13年間、独立リーグで2年間、現在は社会人野球をやっています。
この記事は、
折れないことの重要性
について書きます。
この記事を読めば、今自分の現状にネガティブになっていても、少し前向きになれると思います。
今回は若干メッセージチックな内容です。
私は社会人野球をしているので、
学生時代からやっている「野球」を、大人になった今は「仕事」として活動している人間です。
当たり前ですが、私の周りには同じように野球を仕事にしている人がたくさんいます。
それがなんだという話ですが、今回伝えたいのは、
私レベルであれば学生時代にどんなに下手で補欠でも、届かないレベルじゃないということです。
社会人野球・独立リーグ・NPB
日本で野球で就職するには大体この三つのパターンがあると思います。
それぞれの世界、いわゆる色んな「野球エリート」がいます。
名門ボーイズ生まれ、名門高校育ち、名門大学卒だとか。
出身は名門じゃなくとも、日本代表経験者、大学時代にベストナインとかのタイトルホルダー。
社会人野球も、肌感と独断で9割くらいは野球エリートが分布を占めていると思っています。
ただ、野球を仕事にできる人は全員が全員、野球エリートで育ってきているわけではないです。
今回は私の話を例にします。
補欠ばかりの野球人生
私は中学の時は学校の野球部だったのですが、補欠で、試合は出ても途中から守備固め。
最後の中体連は、記憶するに出てないと思います。
高校は試合に出ていたのですが、県立の弱小高のキャプテンというだけで、
目立った選手ではありませんでした。しかもめちゃイップスで、1試合に3回は暴投してました。
大学時代に関しては、公式戦に出場したのがたったの1試合です。
しかも代打の1打席だけ。時間にすれば1分くらい。大学時代の9割以上は2軍で過ごしました。
大前提として指導者と合わなかったとか、チームの問題児で干されていたという事ではなく、
シンプルに実力が周りと比べ劣っていました。
ただ事実、そんな私でも大人になって、野球を仕事にして働いています。
初見の人とかには、昔から上手かったんでしょとか、能力があったから続けられたんでしょ
という風なことを思われてたりします。
ですが先述した通り、昔から補欠ばかりで何の実績も残せないまま、ここまで来ています。
私とチームメイトだった人がわかると思いますが、
チームで自分が一番輝いた選手だったことなんて一度もなかったです。
そんな補欠ばかりの私が何故、野球を続けてられているのかというと、
「折れずに挑戦し続けたから」
という理由だけだと思っています。
もちろんですが、私自身も何も残す気がなくてここまで野球を続けているわけではありません。
野球をするからには試合に出たいし、活躍したい。
野球が上手な自分になりたい。プロ野球選手になりたい。
そういう思いを常に持ってやってきました。
でも競い合いの世界なので、そういう気持ちとは裏腹に思うようにならないことが多かったです。
野球に限った話じゃないですが、何かの業界で生きていれば、
すごいなと思う人にたくさん出会います。
ただ私に関して言えば、
「どんなに周りがすごくても関係ない。自分が上手になって追い抜きたい。
すごいなと思い続けるだけなのは嫌だ。」
という気持ちが昔からずっとあります。
そして、周りと比べてどんなに下手でも、「まだ下手なだけ、やれば絶対上手くなれる。」
と思い込んでしまっている実感があります。
できない自分に負けるな
競技生活の中で、引退する場面というのは遅かれ早かれ、やってきます。
引退する時に、競技生活に対するけじめがついている人なら良いと思います。
一方で本当はもっと上を目指したい、と思っているのに
周りと自分を比べ、現状の立ち位置を見て、競技生活を諦めてしまう人がいるのも事実です。
何かを辞めたり、諦めるという選択はもちろん大切ですが、
それが後ろ向きな理由での選択なのであれば、私はそれは勿体無いなと感じます。
もっと頑張ればよかった、とか
折れずに続ければよかったと思う人を減らしたい。
私自身も何度も悔しい思いをしたし、その度に下手な自分に嫌気がさしていました。
ただ、それでも折れないで前向きにやり続けてきたことが、
野球人生でのどんな結果よりも自分自身を誇れる部分です。
未だに理想とする自分には届きませんが、
もっと上達して活躍する自分の姿をイメージして、これからも挑戦したいと思っています。
今、下手くそでも大丈夫。折れずに頑張れば着実に上手くなります。
続ける意思を持って諦めずにやれば、次のステージに行けます。
できない自分に絶対負けるな。
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