【正しい事を求める】科学的な練習の罠

・雑記

科学的な練習やトレーニングを勉強している人は読んでみてください。

私は小・中・高・大で13年間、独立リーグで2年間、現在は社会人野球をやっています。
この記事では、 科学的な練習は良いのか について書きます。

この記事を読めば、科学的に正しい練習方法やトレーニング方法について、理解しておくべき考え方を習得できると思います。

野球選手とサラリーマンを兼任する私の経験と知識に基づく、完全私見です。

先に結論を述べると、科学的な練習を追い求める人は、
トップレベルにはなれない と思っています。

科学的な正しさが求められる今の時代

多くの人が科学に触れる機会が少なかった一昔前と比べて、今の時代は情報に容易にアクセスできるようになり、学術的研究や論文に基づいた、科学的な正しさにフォーカスするのが当たり前になりました。

TVやYoutubeなどを見ていても、何かしらの説明の時には、「〇〇大学の研究で△△と言うことがわかっています。」のように研究結果のエビデンスが説明されるし、教育現場でも生徒から科学的なエビデンスの説明を求められたという話を聞いたことがあります。

それだけ科学には信頼があるし、私たちもその恩恵を受けて生活しているのは間違いないです。しかしアスリートについては、科学的なことを求めることは必ずしも、良い側面だけではないと私は思っています。

科学は後追い

「科学的な練習」「科学的なトレーニング」という話題になることが度々ありますが、

スポーツ研究の最先端、筑波大学の体育専門学群に在学時に所属していたゼミの教授がよく話していた言葉を思い出します。「スポーツの研究や科学は所詮、後追いでしかない。常に現場がトップ。」

これはどういうことかと言うと、科学が最高の成果を生むために役立っているのではなく、最高の成果を生んだ人たちを調べた結果が科学であると言うことです。

つまり、トップレベルの人たちは科学的な正しさを求めてトップになったのではなく、自分の方法でトップになったから科学的に検証される側なって、結果その方法が科学的に正しいと言われるようになるのです。(この限りではないと思いますが)

イメージ、何もない原っぱでおっさんが一人で黙々と地面を掘り続けた結果、温泉を掘り当てて一攫千金を手にし、後々原っぱを調べてみたら、彼の掘る場所はとても合理的だったと後付けされるみたいな感じです。

例えがあまりにも偶然的な要素強目ですが、スポーツに関して言えば上達や勝利に繋がれば何をトレーニングしても正解なので、深掘りできる場所も方向も無限に存在します。
つまり言えることは、科学や常識に囚われることなく、自分が信じたことを貫くことで正解を作り出す感覚は大切です

超科学がトップを生む

科学はどんどん更新されます。加えて誰しもに当てはまる万能な科学は存在しません。科学を悪だと言いたいのではなく、毎回科学に正解を求めすぎていると、突き抜けた結果を生み出すことは難しいのではないかと考えています。

科学を参考程度にして、自分自身に合ったオリジナルの方法で自分を磨くことで結果を出し、最終的には科学される側の選手になると言うことが、アスリートが目指すべきところだと個人的に思います。無論、指導者の理不尽な体罰など選手へのリスペクトを欠いた行為は科学を論じる以前の問題で、許されることではありません。

今回はあくまでもプレイヤー目線で、科学を好きで勉強している人が陥ってしまいそうな点について、自分の考えを述べてみました。超科学で自分自身が突き抜けたプレイヤーになることが、科学的正しさを求めるよりも大事だと。

 

とはいえ私も、良い記事が書ける方法を科学的に知りたいです。また次回。

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